一般社団法人SHOEHORN

明日と今日

今日は、尊敬する「ある」支援者の方とのお別れの機会でした。

ちゃんと会ったのは、たったの3回。居場所事業をやられているところに、部外者としてお邪魔したこと、くらい。半ば強引に差し入れを持ち込んだ私にそんなに目を合わせず、若者たちのほうにばかり視線を向けられていたのが印象的でした。

寄付をもらうことや場所をかりることの物質的な利益よりも、若者と過ごす時間に意識を優先されるその姿に惚れ込んでしまい、その後ものすごく積極的に私から声をかけ続けていました。その方から会合などにお誘いいただく機会もありましたが、学校やら若者との用事やらで結局話し込む機会は一度もないまま、突然の訃報に不意打ちの喪失感を得ることになりました。

私は、生い立ちを主な理由に、明日を生きることしかできません。とりあえず遊ぶ、飲みに行くなどのことができず、いつも達成すべき目標が眼前にあり、そこに近づくと実感できる時間の過ごし方しかできません。だから、息抜きにも名目が必要で、子供と楽しい時間を過ごすことでお給料がもらえた前職は天職になるわけです。そのときだけ「今日」に集中できたように思えます。

「明日」と言ったのは、長期的に自分の人生を捉えることもできなかったからです。「将来のために」の行動もできませんでした。受験勉強も就職活動も、ぜんぶ放棄してきました。目の前の目標達成、それだけ。だから、一年後の生活が想像通りだったことなんて一度もありません。

でも、そんな私も、息子ができてから、未来をもうちょっとだけ長期的に捉えることができるようになりました。「明日」が「数年後」くらいに。

私の目標はいつも、自分が大好きな人たちと将来一緒に時間を過ごす場をつくることです。いま、それは「一緒に働く」ということです。端的にいえば、その目標達成のために、毎日を積み重ねています。

すこし未来の捉え方が長期的になったので、具体的な目標も、いままでよりも時間をかけるものに変わりました。毎日を過ごす心持ちも、だいぶ柔らかになった気がします。

でも、いつかくる「そのとき」に、肝心の相手が存在しないようでは困ります。

訃報をお知らせいただいてから三ヶ月間、しばしば考えざるをえませんでした。

「そのとき」まで、周りのみんなは無事にいてくれるのか。あるいは、自分の身体はもつのか。

人生を生きる。なんて難しいのでしょう。

「生き急いじゃダメだよ」と言われたことを思い出しました。

だれかに、教えてもらいたいです。でも何をだろう。急ぐべきか急がないべきか?うーん。

さて、この記事を書き終わったら、切り替えます。

最後に、ご冥福をお祈りします。

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