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現在改造中...

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随筆

福祉とは

「福祉に興味があります」という若い方に、「福祉の仕事」について何か説明をしようと思うとき「身近な人に感じる温かい気持ちを大切にね」と特別視させたくないなーと思うことが。逆に「社会的養護をふまえ、自己覚知を絶やさず、性教育の事例を考察するように」みたいな、戒めを求めたくなるときも。

そんな両極端な二通りです。

福祉の「仕事」と「仕事じゃない」の境目はなんでしょうか。

大好きな人が落ち込んでいるとき、なにかをしてあげたい。

そんな誰もが感じたことがある(だろう)気持ちと陸続きに、福祉の仕事の価値もある。そう信じたいと感じながら、日常場面から程遠い「福祉(という言葉)ってなんだろう」と考えます。

「誰かのために何かをしたい」という足元からの気持ちを「仕事」にすると、途端に、衝動的だった行為に「成果目標」と「枠組み」がついて、「個人の幸せ」と「業務標準」の矛盾への葛藤が「仕事のうち」になります。

その苦しみを心底わずらわしく思いながらも、紆余曲折、数年勤続すると「福祉職」と「福祉職じゃない人」の「支援」の違いを明確に感じるようになります。

私にとって代表的なのは「距離感」。

私は福祉の仕事中「ああするべき」「こうあるべき」を利用者に(あんまり)押し付けなくなりました。人の価値観の違いを経験的に学んだからです。「甘い」とか「自業自得」という単語も不意に口にしなくなりました。言い放った瞬間、支援を放棄したことになると思っています。

福祉にお金をもらっていない立場で「カフェ店員と客」という距離感は自分にとって正解です。近すぎず、遠すぎず。福祉職や保護者と比べると「支援に必要な情報を知らない」他人で、「赤の他人」よりは関係に義務があります。「細く長く」を体現するにふさわしい。

価値観を押し付けるだけ押し付けて、あとはどうなろうとも責任はとらない、という方よりは責任感のある自覚ではと思っています。もちろん、意識が至らず反省するときも多いですが。

カフェなので色んな方が来店されます。五通りの国籍の奥さんがいた横浜の方。卓球が好きなエンジニアの方。山形に親しい人がいる、お酒の好きな東京の方。「なにも断れない」という若い女性の方。その中で「福祉に関心がある」という大人の方が多数来店されます。福祉を「仕事」にしていた/している自分からすれば、要支援/保護の方に対する「距離感」が不安定と思われる方も。もちろん「支援」でお金をもらっていない「地域」というお立場なので、それでよいのですが、身近な若者が、その方の、「個人的な」振る舞いに翻弄されていると感じるとき(事例はふせます)、「適切な」説明がしたいな、と望みます。

そこで「福祉とはなんだろう」と改めて考えるのです。

ふと昨日、福祉とは「連帯をつくること」なのではないか、と思い当たりました。

社会保障は「互いをうけいれあい、支え合う」という「国単位の連帯感」が前提となる仕組みです。

NHKの「人とはなにか」という(タイトルだったと思う)番組で、「人が人として社会を発展させていった固有の能力は思いやること」と「贈り物」を例に挙げていたと思います。それをつかって高度な社会をつくっていったと。

まだ未開だった時代、会ったこともない人と「敵対関係」にならないために(つまり自分の生存のため)「相手の気持ちになって考え、協調関係になる」ために「笑顔をつくったり」「贈り物をあげたりした」というのです。同じタイミングで、超富裕層の「なんで自分が稼いだお金を、さぼっているやつのために税金としておさめなきゃいけないんだ」という(インタビューで)移住問題を特集した番組も見ました。

そして「人が人を思いやるという気持ちが、いまの世界でどこまで評価されるんだろう?」と、福祉畑に残ることを決めました。

福祉とは「連帯をつくること」という答えがしっくりときたのは、そういった自分の内面の命題があるからだとも思います。

私のいう、連帯をつくることは「自分とは関係のないところに」という条件付です。就職させた、卒業させた、その支援結果は、そのあと霧散する可能性があります。離職したり、学歴が生かされなかったり、あるいは奨学金の返済におわれたり。じゃあ何のために、自分なりに寄り添い、耳を澄まし、キャリアステップを提案し、心を尽くして言葉をかけるのか。幸せになってもらいたいからです。知らない人と知りあい、職場に入り、上司との関係に恵まれ、その人に認められるために頑張り、その背中を誰かに慕われ、失敗と成功の繰り返しの中で、沢山の人と生きることを認め合う。その素養(あるいは予感)のために、自分との時間で安心したり、誰かの役に立ったと感じてもらったり、してもらいたい。将来のどこかの連帯のための、小さな布石として、自分が貢献したいのです。もちろん「一人前な場面を見たい」とか「結婚式に呼んでもらいたい」とか「自分との縁が続けばいいな」とか「たけしのおかげだよ、って言われたい」とか思うのですが、それは仕事ではない「個人的な」願望で「自分との連帯」に含まれるわけです。その、自分との関係の外に責任を自覚することが「仕事」の一歩なのかなー、と。

世界単位の連帯って、実現する瞬間はあるのかな。

最近「職場から学校までの移動手段」を大義名分に、ペニーボード(スケボーの小さいの)を買いました。転びまくりながら、明日は(お勤めは)休みなので、ふと学校から新宿まで滑って帰りました。その最中に、上記のことを考えました。途中でなぜか、好きだった子との夜の散歩を思い出し、電車に乗り直しました。あの頃とは決定的に違うけど、決定的なところは変わってないよなあ。以上です。

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