被支援者の境界と支援者の裁量

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不登校児童の日中活動の、支援者と被支援者として出会った子が親御さんと来店してくれました。妻の出産準備を理由に、私がその現場を離れて半年以上が経っていました。写真の出産祝いをいただきました。

買ったというゲーム機を持ってきてくれて、店内で2人、ドタバタとバトルしました(幸か不幸かその間、お客様は入りませんでした)。その子は相変わらずデジタルとアナログの「機巧」が好きで、そのあとは店内に打ち捨てられていた「マリオネット」で遊びました。くつべらマンにカスタマイズしてくれるそうです。

もし私がその子のいま支援者であるなら、私は、プロとして過ちを犯している可能性があります。領海侵犯です。

実は昨年のクリスマス、その子のおうちにクリスマスプレゼントを届けています。くつべらマンと。玄関に手紙つきでひっかけて帰りました(交番の前を通りましたが、呼び止められませんでした)。私はもうその職を辞していましたが、かつての規定からすると、契約の時間外に訪問するのは職務違反です。そしていま、私の代わりの方が仕事として関わっているかもしれないのです。グレーな領域ではありますが、その職場さんからすれば「NG」です。「OK!」ということは仕組み的に難しいです。

ここが(私が経験した範囲での)福祉事業のポイントです。職業的支援は、その内容の横断性が著しく低いです。極端な例をいうと、就労支援をしている団体は、就労支援の枠組みでしか(基本的に)関われません。就労支援をするということで、お金をもらっているからです。自治体、国、都などお金をいただく先は違う場合でも、その分断性は顕著です。それはクライエント(被支援者)の「選択(あるいはケイパブリティ)」という観点からしても同じです。情報が、全体図として届きにくいです。

今回、その親子さんは、異なった入り口から私に会ってくださいました。私は、ぎりぎりの倫理観で、来店を強いるような私的な連絡はしていませんでした。なので、本当に嬉しかった、喫茶店をしていてよかった、と心から思いました。

最近お世話になっている施設さんは、通所型の「作業」を委託で実施しています。いわゆる内職のような「仕事」の機会を、一般的な「就労」ではハードルが高い利用者の方に提供しているのです。「むかしは、作業のない日は散歩とかにもいってたんだ」と伺いました。これも現代の限定的な枠組みがはらむ「不自由」です。私の児童養護施設時代の先輩で、仕事にいけない児童と「一緒に日雇いアルバイトをした」話を伺ったことがあります。「すげえ」と思いました。これもいまはできません。

これらの「不自由」について、いま師事している先生に伺いました。

「裁量と統率の問題だね」と先生。

つまり、現場からすれば「職員は裁量が欲しい」けれど、管理する側からすれば「枠組みをしっかりとすることでサービスの水準の平均化を図りたい」ということです。

私のいままでの話には、抜けている大事な要素があります。それは「リスク」です。いままでは、領海を横断することによる好例をあげてきましたが、裁量が広すぎることによる「悪例」が必ずあるということです。やらなくてはならないことが少ないことによる危機は、想像に難くありません。ネグレクト、私的利益の追求、利用者のリスク管理意識の希薄化などです。

支援が「限定的」で「専門化」するのは、応える福祉のニーズが高まっていく時代の流れの当然の結果なのです。

そして、私たちは福祉職としていまお金をもらっているわけではありません。もし関わっている児童になにかがあったとき「なぜ無責任な立場の人間に、国から預かっている大切な児童を紹介したんだ」と、うちを信用して連携してくださった方が責められてしまっては、お詫びのしようもありません。

だから私たちは、カフェに徹しています。それはつまり距離感です。私たちは親でもなく、指導員でもない。なにかを強いて、そのトピックが熱をもったとき、そのケアやフォローに回る責任を枠組みとして持っていないのです。プライドからもう一歩、福祉に携わっているという自覚を示すならば、ケースを抱え込まず、常に児童の後ろにいる支援者の方々を思い描く、ということです。

「おせっかい」と、地域という立場からの児童の関わりについて塩梅を表現された方がいらっしゃいます。その通りだと思います。

地域でできる範囲と、専門職ができる範囲。その明確な違いを把握し、役割分担をはかることです。その調整にあたる取り組みが、ところどころで始まっています。

私はそれを、言葉と行動で示していきたいと思っています。できれば、専門職でありながら地域資源を所有するという目的地点で。難くなってしまいました。

ところで、前述の子がオシゴト図鑑を書いてくれました。職名は「空欄」。会社名は「じぶんじしん」。仕事あるあるは「どれだけがんばってもお金にならない」。多くの示唆に富んでいます。クレヨンありがとう。