私が不在と、遠方に仕える

学校の実習がはじまりました。聴覚障害の方のための福祉施設で、ひと月ちかく学ばせていただきます。

半年くらい前から戦々恐々としていました。店長(妻)の子守に加えて、私が不在という、主力が大きく削られる期間です。私たちのようにミニマムに開業している組織にとっては、命取りに思える事態でした。

蓋を開けてみれば、ピンチはチャンスというか、「なんとかなっている!」という発見の事態です。

まず、ほかのスタッフさんたちが頑張ってくれています。私と店長が一番大切にしていることを一番大切に、努めてくれています。これは運というよりありません。スタッフさんたちの人柄と良縁に救われています。

次に、弊店に関わっている若者たちが子守をしてくれています。新聞の影響で「児童養護施設を退所した子どもを支援しているんですよね」と言われたりするのですが「支援してもらっています」と返さざるをえません。ほぼボランティアですが、お礼にご飯をご馳走したり、時給という形をとったり、もちつもたれつ?でやらせていただいております。本当に感謝。

一緒にやっているインタビューラジオについても、私が不在で明日初収録です。

一緒にはじめた新しい何かが、自分不在で進んでいく。比べるも変な例えですが、朝わかれた息子と夜に再会するのと同じ、心細さを経る喜びがあります。

さいきん児童福祉の古典?を読むのですが、昭和の児童福祉の策定者の方の先見性に驚かされます。あるいは歴史は繰り返すということなのでしょうか。いま私の周囲で交わされる意見を、賛否を超えた立場から大局的に論じられています。その方がいうに「地域単位独自の共助の形は、質をみて素晴らしいけれど、遠方には通じない。遠く離れた人にも届けるためにどうするか、というところまで次に進めていかなければならない」と。ここだけとると、さも当然のことのようですが、フェイストゥーフェイスの、地域固有の共助性の価値を認めたうえで、他地域に転用できるモデルを求めていくご姿勢に、私は高尚な、高い志を感じて、どこか励まされました。

身近な人に尽くしたい、という姿勢ではじめたカフェで、素晴らしい活動や志のために専念する方々に出会いました。

自分は不在でいいから、この方たちの「子どものための」活動に貢献する何かもしたい。という、自分の手の届かないところにまで「仕える」気持ちが出てきました。

次世代と、次世代を応援する素敵な方々が、それぞれの志に専念する一助になる「場」。これを準備していきたいと、身の丈にあった方法を思案する今日この頃です。

手話もおぼえねば。